雷句誠氏が小学館を提訴したことについての雑記

「金色のガッシュ!!」の作者である雷句誠氏が小学館を訴えたという。上のリンク先に書かれている陳述書には担当編集の実名もでていかなり過激だ。しかし,もしこれが事実なら小学館の編集ってそうとうヤバいぞ。例えば,

(4)3代目担当の袖崎友和氏からは、最初こそ良かったものの、そのうち遅刻が当たり前の状態、袖崎氏が決めた締め切りに必死になってカラー原稿を上げたら、その原稿は取りにこない。「なぜか?」を聞けば、「いつでもいいだろ」との返答、この人もまた仕事場で怒ってからやっと遅刻も直り、喧嘩を売る態度も消えました。

ふつう一緒に仕事をする人,しかも,社外の人にこんな態度はとらない,というかとれないと思う。オレでさえ仕事のときは時間はちゃんとまもる。
次の4代目担当もかなりの人物なのだが,とりあえずおいといて(5代目は載っていないなあ),6代目担当をみてみると,これまたすごい。

(6)その次の担当(6代目)、飯塚洋介氏にいたっては、誤植を注意したらガンを付けてくる担当編集である。ミスを注意して逆ギレされては、もうどう仕事してよいのかもわからなくなる。そのうち、電話も会話が終わると、自分にわかるように受話器を叩き付ける様に切る。

うーん,ただ単に目つきが悪く,粗暴なだけということもあるかもしれないが,やっぱり一般的な社会人がとるような行動ではないよね。
これらのエピソードから推察するに,編集者と漫画家って対等な立場ではないという意識が編集者側にあるんだろう。そりゃ,基本的には出版社が漫画家に仕事をあたえているわけで,とくに小学館の,しかも週刊少年サンデーとなれば,編集者側から見れば「サンデーで描かせてあげてる」という感じなんだろう。実際,陳述書にもそのような記述がある。

行方がわからなくなったカラー原稿を探してもらう。何週間かで数枚カラー原稿がでてくるが、まだ8枚足りない。そんな時、担当の飯塚洋介氏が編集長と副編集長が話がしたいと言う。
内容を聞くと、紛失したカラー原稿の話もあるが、私が小学館を離れる事に付いても話があるらしい。飯塚洋介氏は言う。
「いるじゃないですか・・・一回もうサンデーでは描かないといって、また戻って描く人が。」

まあ,出版業界に限らず大手というのはえてしてこういう態度とりがちだけど。就職活動のとき実感したわ。なんというか,「ぜひ,うちに入社してくれ」という感じじゃなくて,「うちに入れてあげよう」という意識がもろみえだったもんな。

基本的には雷句誠氏を応援したい。今後商業誌で漫画を描けなくなる可能性もあるなかで闘っているわけだから。ただ全面賛成というわけではなく,いくつか「これってどうなのよ?」といったところもある。
まずは,不確定な内容,しかも他人のことにたいして,の記述について。『7 小学館に対して思うこと』として次のような記述がある。

高島雅氏の話の時にでた冠茂氏という編集者は私のアシスタントをしてくれていた酒井ようへい先生の担当編集で、冠茂氏の言う通り描かされ、酒井先生が、自分の描きたくないストーリー展開に抵抗すれば、「死ね!3流漫画家!」と、作画中に電話で罵倒され、後半はそれに対する酒井先生の抵抗もつらくなり、冠茂氏の言うまま描くも、お話を無茶苦茶にされ、人気も上がらず、最後引っ掻き回したお話を収集しないまま、別の編集者へ担当を変え、責任も取らず冠茂は逃げる。酒井先生はその引っ掻き回したお話を収めるだけで初の週刊連載を終わる事に・・・
このお話は当時の酒井先生が何度か自分の所へと相談に来ていたので、覚えている話です。本当に「道具」扱いである。

これが事実ならそうとうひどいはなしである。酒井ようへい氏が若手であることを考えるとじゅうぶんパワーハラスメントですね。しかし,いくら「小学館に対して思うこと」とはいえ,自分とは直接仕事上のかかわりがなかった冠茂氏のエピソードをあげるのはどうなんでしょうか。どんな組織にもとんでもない人はいるわけですから。特異なひとりの例をあげてその人の特性があたかも会社全体の特性であるかのように表現するというのはフェアではないとも思うし。ただ,冠氏って実際かなり痛げなひとっぽいっすね。自分と同性同名のキャラ,しかも美形,が自分が担当している作品に出ることを許可しているくらいだから。漫画のキャラのモデルになった編集者といえばDr.マシリトが有名だけど,あれはどう考えても名誉な役ではなかったよなあ。時代はかわったものです(まあ,かわったのは時代だけではないのでしょうが)。
同様に『7 小学館に対して思うこと』で,下のような記述がなされてます。

(2)つい最近週刊少年サンデーが創刊50周年を迎え、その記念として、今までの大御所の先生方にサンデーでの思い出を漫画で描いてもらうと言う企画がありました。その中で小山ゆう先生という大御所の作家さんが、2008年16号の週刊少年サンデー掲載の漫画の中で、ひたすら小山先生に失礼をしている編集者の漫画を描いていました。最後は想像オチ(こんな編集、いるわけないよ)みたいな感じで現実ではないと描いてましたが、こんな50周年というおめでたい企画で、はたして小山ゆう先生が何の原因もなく、こんな嫌みになる漫画を描くであろうか?
私はそれまで小山ゆう先生の描かれた、漫画の中の編集さんの態度に似た行為をとても多く見てきました。
きっと、小山ゆう先生ほどの大御所の人にもひどい対応をしてるのではと想像できます。

これはまさに想像の域をでておらず,載せる必要があったのかどうか。しかも,書き方を見るに小山ゆう氏には確認とってるわけではないなさそうなので,小山ゆう氏に名前を無断で名前を出してそうな気がするんだが。直角と思われる小山氏なら問題ないと踏んで書いたのかもしれん。
あともうひとつ,雷句誠氏が求める編集者像にたいしてちょっと違和感がある。

ちなみにこの高島雅氏から、自宅のFAX番号は教えてもらっていない。聞いたら、「自宅のFAXは壊れている。」半年か1年経っても「まだFAXは壊れている。」もうここまでくればわかる。「自宅に仕事を持ち込むな。」との意思が

これって別に問題ない。編集者は漫画家とは違って会社人である。漫画家のような働き方では仕事・プライベートの区別がつきにくいのかもしれない。でも会社人にとっては退社時にタイムカードを押した時点でオフなのだ。オフのときに仕事をしろというのはちょっと勝手なのでは。うちの会社でも昼休み中(給料が発生しない)は仕事用の携帯電話を持ち歩かずデスクにおきっぱなしにするという人はけっこう多い。もし,週刊少年サンデー編集部の給与体系,勤務体系が24時間いつでも働くことを考慮にいれてるものだったら雷句誠氏の主張は間違ってはいないと思うが,そんなことはなさそう。
どうように次の記述にも違和感を感じる。

寝ないで自分の担当する漫画のアイデアを考える編集者はどれくらいいるだろう?

きっと漫画家のほとんどはほぼ24時間、自分の作品に付いて考え、悩んでいる。それに対して編集者は一体どれだけの時間、担当している漫画に時間を費やしてるだろう?

漫画家と編集者は立場は違うわけだから同じことをすることを望むというのはあまりに自己中心的な考えだ。そりゃ,オレだって通勤時間,風呂の時間,寝付くまでの時間,ずっと仕事のことについて考えることもある。先週はずっとそんな感じだった。でもそうすることを他人に強要されるのはたまったものじゃない。


週刊少年サンデーには好きな漫画家も多く連載してるし,なにより漫画そのものが好きだから,漫画家にはちゃんとした環境で仕事をしてもらって面白い作品を残してほしいと思っている。雷句誠氏が小学館を訴えた理由もその環境を手に入れるためなのだと思う。その点で雷句誠氏には敬意を表する。今後の動きが非常に気になる話である。


ちなみに,担当する作品を読んでない編集者ってどうなのよ。というか,『絶対可憐チルドレン』読んでないなんて考えられん。漫画編集者志望じゃないやつなのか。